蒲公英とお念仏
5月を迎え、北海道にも春の訪れを感じるようになりました。
道端のタンポポも、草むしりに追われる頃には煩わしく感じますが、この時ばかりは不思議と愛おしく感じてしまいます。
もちろん、雪解けが嬉しい春先は可憐に咲こう、雑草が煩わしい夏には憎たらしく咲こうなんて、タンポポが思っている訳ではありません。
どのように思われても、時には踏まれようとも、タンポポはいつも通り、ただひたすらに花を咲かせるだけです。
そんなタンポポを詠ったこのような句があります。
「踏まれても 春来れば咲く 蒲公英(ほこうえい=タンポポ)」
どのようなことがあっても、ひたすらに花を咲かせようとするタンポポの姿を表している句ですが、私達がお念仏をお称えする姿に重なります。
お念仏を広められた法然上人は、お亡くなりになる前にこのようなお言葉を私達に残して下さっています。
それは、
「ただ一向に念仏すべし」
というお言葉です。
意味は、
「ただひたすらにお念仏をお称えしなさい」
となります。
私達はいつか必ずこの世を旅立つ時が来ます。
この世を旅立ち、どこへ行くのか、どうなってしまうのか。
私達には、どうすることも出来ません。
しかし、南無阿弥陀仏とお称えすれば、阿弥陀様が極楽へとお導きしてくださいます。
だからこそ、私達が迷わず極楽に行けるようにとの思いから、法然上人は「ただ一向に念仏すべし」というお言葉を残して下さいました。
ひたすらに花をさかせようとするタンポポは、私達にひたすらにお念仏することの大切さを教えてくれています。