煩悩と庭の落ち葉

9月を迎え、少しずつ夏の暑さも和らぎ、北海道には一足早く秋が訪れようとしています。

読書の秋、食欲の秋と言うように、秋には様々な楽しみがありますが、紅葉もそのうちの一つです。

色とりどりの木々が景色を染め上げげてゆく姿はとても美しいものですが、個人的には一つ困ったことがあります。

それは、紅葉の後の落ち葉です。

この時期、お寺の境内にはたくさんの落ち葉が散らかります。

毎朝の掃き掃除は欠かせず、風がある日などは一日に一度や二度では済まないこともしばしばです。

そんな困りものの落ち葉を、私達の煩悩に例えたこんな短歌があります。

それは、

「掃けば散り 払えばまたも 散り積もる 人の心も 庭の落ち葉も」

と言う短歌です。

意味は、

「掃いても掃いてもどんどん散り積もる落ち葉は、私達の心の煩悩と同じです。」

となります。

煩悩とは間違った心の働きの事を言います。

例えば、アレが食べたい、コレが欲しいと必要以上に求めたりすることや、くだらないこと、どうでもいいことに怒りや憎しみを感じたりすることです。

どうでしょう、このようなことは一度や二度ならず、むしろ日常と言えるほどではないでしょうか。

それほど、私達の心は煩悩に支配されていると言えます。

だからこそ、散らかった落ち葉を掃除するように、私達は自らの心を奇麗に掃除する必要があります。

その為には、もちろん南無阿弥陀仏とお念仏をお称えすることが大事です。

南無阿弥陀仏とお称えすれば、阿弥陀様が心の煩悩を静めてくださり、私達は心の掃除をすることが出来ます。

最後にもう一つこんな短歌をご紹介します。

それは、

「払えども払えども積む胸の塵南無阿弥陀仏の箒離すな」

という短歌です。

意味は、

「散り乱れる私達の心を奇麗にするために、南無阿弥陀仏のお念仏を箒と思って決して離してはいけませんよ。」

となります。

落ち葉の掃き掃除に限らず、掃除をすることはとても大事なことですが、心の掃除も欠かさずに行うことを忘れてはなりません。